大導師は享楽家だ。この世のすべてを憂いているようで、あざ笑っているようで底が見えない。 計り知れない魔力を持つ少年、その美貌、一言で言うならば「カリスマ」。 我らブラックロッジが大導師の元に集いている理由は様々だが、少なくとも私、アウグストゥスは大導師のそのカリスマに惹かれてひれ伏したものの一人だ。 しかしまあなんだ、その「底が知れない」という部分は良い方にも悪い方にもあるわけで。 「アウグストゥス」 「はっ、何でしょうか大導師」  夢幻心母の中心で、まどろむ様な表情を浮かべながら大導師は私を呼んだ。 「貴公は仏蘭西よりシルクロードを経て日本に伝わったという『シェー』なるものを知っているか」 ──は?  また始まった。大導師の「遊び」だ。 「貴公は東洋の出だったな、ティトゥス。存ぜぬか?」 「拙者は武芸以外には興味無き故、そのようなモノは存ぜぬ。して、『シェー』とはいかなるものか?」 「両腕で渦を巻くように構え、片足立ちで浮かせた足の膝を直角に曲げ、シェーと叫ぶらしい。」 「奇怪な構えでござるな」  そこへ、黒い装甲に身を包んだ闇の天使が歩み寄る。 「ふん、ではどんなものかやってみればいいではないか。オレが試してやる」  ちらり、と視線を送り、やってみせよとマスターテリオンは頷いた。 「ハァアアアアアアアア!」  気合を込めるサンダルフォン。ガシッ、ガシッ、と力強く両腕を渦巻くように構え、片足を上げ膝を直角に曲げた。 「死ェアアアアアアアアアアア!」  轟、と気合と掛け声に導かれるような突風が吹き荒れ、夢幻心母内に居た魔力を持たぬ下っ端信徒達が吹き飛ばされた。 「なかなか気合の入る構えだな。これはメタトロンとの戦いで使えるかも知れん」 ──ホントにそう思ってるのか、サンダルフォンよ。 「他に試してみるものは居ないか。カリグラ、貴公はどうだ?」 「オレハ興味ナイ」  汝が欲する事を成せ、という自らの教えどおり大導師は無理強いしない。 「クラウディス、貴公は・・・」  面倒なことに巻き込まれるかと思ったのか、クラウディスはいつの間にか居なくなっている。 「ウェスパシアヌス」 「はっはっは、大導師、私は所用を思い出したので失礼するよ」  汝が欲する事を成せ、という自らの教えがあるものの、こうも拒否される続けるとさしもののマスターテリオンも少々機嫌が悪くなってきたようだ。 「アウグストゥス」 「わ、私は」 「やって見せてくれるな?」  無駄に膨大な魔力の波動が無言の圧力となって私に拒否することを許さない。 「わ、解りました。やってみましょう」  私は心地悪い汗をかきながら重心を左足に移して両腕を構え、右足を上げて叫んだ。 「・・・・・シェー」 「違うな。声が小さい」 ──マジかよ。まだやれっつーんですか。 「シェーーッ」 「違うぞアウグストゥス、魔力を込めてみよ」 「シェーーーーッ!」 「何かが足りぬな・・・金枝篇を持っていないからではないか?」  私は金枝篇を手にふたたび構えて叫んだ。 「もう一度だアウグストゥス」 「シェーーーーッ!」 「もう一度」 「シェーーーーッ!」 ・ ・ ・ ・ ・ 何度やり直しさせられたことか。そろそろ私も喉が疲れて足もふらふらになってきた。 「駄目か。そうだアウグストゥス、鬼械神を召喚してやってみよ」 「お言葉ですが大導師、我が機械神レガシー・オブ・ゴールドには手足がありません」 「ふむ・・・エセルドレーダ」 マスターテリオンは『ちっ、つまらん』と言った様子で私を横目に、傍らの少女を呼んだ。 「マスター、ここに」 「リベル・レギスを使うぞ」 「全てはマスターの御心のままに」 ──自分でやるなら最初ッからやれっつーの。 マスターテリオンは夢幻心母の中にリベル・レギスを召喚し、乗り込んだ。当然逃げ遅れた一般信徒が数名踏み潰される。一部天井も崩れ落ちる。修理費用概算・・・胃が痛くなりそうだ。 『いくぞエセルドレーダ!』『イエス、マスター!』 ──このやり取りだけ聴いてると至極まっとうな事をしているように思えるのだがなあ。 ロボットっぽい駆動音を立てながらリベル・レギスはその手足を器用に曲げて例の構えをとった。 『シェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!』 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ──まあ、同然何も起きないよな 『なぜだエセルドレーダ』 『マスター、日本にかかわるというのであれば大十字九郎ならば知っているのではないでしょうか』 『いい所に気が付いたなエセルドレーダ、流石は我が魔導書。では早速行くとしよう』 ほっ、と気を抜いた瞬間、リベル・レギスは壁をぶち破って飛び出していった。 キリキリキリキリッ!と胃が痛む音が聞こえるようだ。 「・・・カリグラ、すまないが胃薬を持っていないか?」 しばし思案した挙句、カリグラはものすごい勢いで私をぶん殴った。 「コウスレバ胃ヨリ顔ノ方ガ痛イカラ気ニナラナイ」 こいつに聴くんじゃなかった、と私の意識はそこで途切れた。 一方その頃 「ま、マスターテリオン!なにしに来やがった!」 「九郎!妾達もデモンベインを・・・」 「待て大十字九郎。今日は殴り合いに来たのではない」 「じゃあなんだってんだよっ!飯でも奢ってくれるのか!?」 「いや、日本生まれの貴公に尋ねたいことがあってな。貴公は『シェー』なるものを知っているか?」 「あれか?驚いたときにやるアレか?」 「知っているのか大十字九郎!」 「ああ。語尾がザンスで出っ歯の奴にしかできないんだ。それもかなりの。」 お粗末。