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麻生純子の事件簿

 深夜3時。彼は端末に向かって攻撃命令を下していた。シミュレーションゲームではない、ホンモノの緊張感。スリル。そして得られる実際の報酬。
「いいぞ。よし行け、どんどん食い荒らせ!」
 彼の放ったエージェントたちは様々な進入経路で無差別にネットワーク上のマシンを侵害していった。髑髏のマークがカタカタと口を開いたり閉じたりするマークがついているマシンは支配下に置いた物だ。
ちょっとした事で手に入ったハッキングツール。全自動で無差別にマシンを襲い様々な個人情報や指定したカテゴリのデータを集めてくれるという。
半信半疑で使ってみたものの、驚くほど簡単にどんどんデータが手に入る。
「ははは、ハッキングなんて簡単じゃないか。なんでこんな面白いことを今まで知らなかったんだ」
 彼は気づいていない。その誘惑に安易に乗ったことが後に後悔の元となることを。一番肝心なことを見落としている事を。


「麻生純子、本日付を以て本庁サイバーテロ対策室勤務を命ずる」

 FBIが管轄するNIPC(米国インフラ保護センター)での留学研修から戻り、彼女は少々の緊張と意気込みで多少鼻息が荒くなっていた。
「麻生、わかっているとは思うが日本ではあちらとは勝手が違うからな。あまり無茶な真似をせんでくれよ」
「はい、わかっております小坂室長」
 キリリとした面持ちで敬礼してみせる純子。それを見て
「だといいんだがなあ」
 と、小坂はやや不安げな顔をしてみせる。
 研修期間中の彼女の『活躍』については現地教官の報告という形で小坂の元へ逐次伝わっていた。天才と呼んでも差し支えない技能は留学前から本庁内で話題になっていたが、その法律すれすれの行動力はアメリカでも担当教官の頭痛の種だったという。
 曰く「上司の命令を聞かない」「SWAT隊員より銃弾を消耗する」「相棒をほったらかしにして突撃する」など。付いたあだ名がテンペスト(暴風娘)。担当教官が予定期間の1/3という時期に送ってきた最後のレポートには意訳するとこう読める一文もあった。
「そろそろ手に負えないので引き取ってくれ」

 どうやら麻生純子のじゃじゃ馬ぶりは出国前を大きく上回って帰ってきたようだ。
(これでは一緒に付けるパートナーが選べないじゃないか)
ともかくサイバーテロ対策室には彼女に見合うだけの、いや彼女についていけるだけの人材が居ないのであった。
「まあ、当分は単独での捜査をしてもらうことになるが」
「その方が身軽で助かります」
 返す言葉が無かった。
「あー、麻生の机はそこ。機材一式、といってもディテクター端末と車両の鍵だけだが確認しておいてくれ。準備出来次第ネットワーク警戒班のリストを元に捜査に向かってもらう」
「はっ!」
 純子は自席に着く。サイバーテロ対策室、通称サイバーフォースとは2001年4月に設立されたそう新しくない部署である。当初は60人だった人員も現在はかなり増員されているが、彼女のようにネットワーク調査から現場に直行して犯人逮捕までを行う類の外勤捜査官は出ずっぱりで今は一人も所内に残っていない。ネットワーク専門の技術者はこの部屋には居ないので、今ここには室長と純子しか居ない。
「ふーん、これが最新式か。けっこう速いじゃない」
 折りたたみ式クラムシェル型のディテクター端末に備えられたインターフェースは可視光投影型キーボード、音声認識、物理的な折りたたみ式キーボード(あまり打ちやすくは無い)、タッチパネル(当然手書き文字認識も出来る)、スティック型ポインティングデバイスに視線認識などなど、コスト度外視とも思える豪華さで割り切りというものが考えられていない。IEEE規格の汎用コネクタも二つ用意され、スペックは市販品を遥かに上回る。
ユーザー登録を済ませIEEE規格のコネクタを使って個人でチューニングしたツールを送り込み、純子は端末の環境を整える。外見は市販品同様だが中身は警察・公安関係者専用にチューニングされた超高級品であり、ソフトウェアは市販されているモノと変わらないものが使える。
「これでよし、と」
 少々以前の持ち物と勝手が違うが、すぐに慣れるだろう。さっそくネットワークを通じてネットワーク警戒班のリストを確認する。
「では室長、行ってまいります」
 言うが早いか純子は砂塵を残す勢いで部屋を飛び出した。
「揉め事だけは起こさないでくれよ・・・」
 管理職は大変なのである。

 駐車場に着くと、彼女はあてがわれたTOYOSU RIGRETに向かった。通常のパトカーと同型の車両で、可もなく不可もなくという平凡な電気自動車である。身についた習慣で爆発物などが無いかチェックする。例えそれが官給品であっても油断してはならないと叩き込まれているからだ。
「うーん、端末は良いけど車は全然駄目ね。早いトコ自分でいい車買わなきゃ」
 TOYOSUも悪くないけどやっぱり私の好みだとHONTOよねぇ、と彼女の基準ではイマイチどころかかなりなっとくの行かない車両であるらしかった。不平をもらしながら運転席に乗り込むと、純子はバックからディテクター端末を取り出し車に接続する。
《こんにちは麻生純子さん。現在の時間は午前9時44分です。メールは・・・》
「中断」
 車載エージェントがまだるっこしい挨拶の口上を述べるのを中断させ、無用なエージェントを停止させた。こんなものはいらない。自動でユーザーを認識して使えるようになりさえすればいいのだ。
「検索、危機管理レベルA、頻度 between A and C・・・」
 音声認識で今向かうべき捜査対象を検索する。
《検索結果は43件です。内、担当の無い事件は13件です》
音声による報告と同時にフロントガラスに仕込まれたモニターに結果が表示される。手動運転中は使えないディスプレーで背景が透けるためコントラストの高い単色表示である。
「検索、前回の条件から物理距離が最も近いと思われる発信地」
 こんな具合で純子は数件の事件を捜査対象として準備し終えるとオートナビゲーションをセット。
「さぁて帰国後の初仕事、行きますかっ」
 電気自動車はサンプリングエンジン音を発しながら振動は静かに駐車場を後にした。

 不正アクセス。ネットワーク黎明期は法整備もままならずそう重い罪にはならなかったが、現在は殺人、放火に次ぐ重罪として扱われている。グローバルネットワークがあまねく地上を覆いつくした今となってはそこに影響を与えるネットワーク犯罪は一瞬にして多くの人間の生活を脅かす、核兵器より恐ろしい兵器にもなりうるからだ。
オートナビゲーションに任せて大まかな方向に走らせる一方で、純子は不正アクセスの発信地と思しき地点を絞り込んでいた。通常のネットワーク犯罪者は複数のマシンを踏み台にして攻撃対象を狙う。自らのアジトを隠しつつ犯罪を行うのだ。
しかし少なからず痕跡は残る。一流のクラッカーの犯罪頻度よりも二流三流のクラッカーが行う犯罪の方が発生頻度は高く、自己隠蔽の技に隙が多い。しかもネットワークに与える障害、危険度は一流のクラッカーが行う犯罪と趣向が違うだけで重大さは変わらない。だから二流三流の犯罪者でも着実に捕まえていかねばならないのだ。
「警視庁サイバーフォースの麻生と申します。はい、サイバーテロ対策法4条に基づき先ほどお送りした申請コード88974454-A6の件でアクセスログを公開していただきたく。ええ、今すぐ。・・・・はい、そのファイルに記述されたアドレスに転送願います。はい、捜査へのご協力に感謝いたします」
 定石としてネットワーク経由で情報開示要求を出して犯人の痕跡を追うのだが、ISPによってはこれらの情報開示を様々な理由で自動化していないところが多いためわざわざ電話での確認を取らねばならないというアナログさはこのネットワーク社会の不完全さを物語っているが、人が扱う以上仕方のないことなのかもしれない。
多くの捜査官はこのように移動しながら情報を収集する。この段階に入ると犯人を特定することができるようになる一方で相手側もそれを察知して取り逃がしてしまう事があるため物理的に近づいていることが理想とされるためだ。
 そして定石がもう一つ。ネットワーク犯罪者は同じ標準時刻の生活圏(すなわち国内)に生息している場合午前中の捜査が望ましい。なぜならネットワーク犯罪者たちの生活習慣は夜型に偏っていることが多く夜が明けた頃に眠るため捜査の接近に気づかれにくいからである。
 いくつものISPに連絡を取ってデータを集めたが、令状を発行させるためにはもっと証拠が必要だ。
「仕方ない。室長には揉め事起こすなよって言われてるけど・・・バレなきゃ同じよね」
 言うが早いか純子は端末を操作して応答を返さなかった自動対応(すなわち自動対応としては不完全な)ISPに対して侵入を試みる。
《グローバルネットワーク接続》
『接続要求:新宿ハッピーネット、ゲートウェイサーバ』
いくつかの応答があった。一般サービス以外の応答はしない。データ開示要求に応じないのは方針としてアンダーグラウンド寄りなのか管理者が職務怠慢なのか。大雑把に分ければこの二つという事になるが果たして。
利用しているサーバーの種類、OSなどの情報をレスポンス状況から割りだした純子は別プロセスで本庁のデータベースに接続。
『最新のセキュリティーホールデータベースからFinuxServer5.66とMohican8.4のセキュリティホール情報を取得』
テロリスト殲滅部隊はテロリストの手法を熟知している。ゆえに対ハッカー捜査官である麻生純子は同様に彼らの手口を把握している。そして彼女の場合目的のために手段は選ばない。
セキュリティホール情報をディテクターに読み込ませて送り込むと、程なくしてゲートウェイを自由に通過できるようになる。これらの処理は一連の基本動作としてディテクターに学習さることが出来るが、公式にはマズイ手段なので毎度手動ということになる。
ディテクターの性能はこういう使い方をすれば恐ろしい。ハッカーの中にもディテクターを捕獲してカスタマイズし使用しているものもいるというが、ここではさて置く。
「ふーん、やっぱり接続元は同じね。傾向から見ると『フレッシュハッキング』か『B−29』の亜種を使ってるみたいだけど。」
同じ手段でいくつかのISPから情報を取得した。
純子は集めてきた情報を元に隠蔽されたアドレスを割り出す。足跡を丁寧に消している場合もあるが、その場合は別途データ解析チームの協力を得るか彼女自身が現場に行ってデータ解析をしないと割り出せない。今回はそこまで難儀なケースではないらしく意外とあっさり割り出すことが出来た。あまり高度な対応は要らない様子である。
「よし」
 目的地が決まった。純子はオートクルーズを解除し自らハンドルを握る。サイレンを取り付け緊急車両として一気に犯人への距離を縮めるべくアクセルを踏み込んだ。

 モニターが点灯し、スピーカーからはけたたましい警告音が鳴り響いている。まだ3時間も眠っていない彼がその深刻さに気づくのに30秒ほどかかった。
「るっさいなぁ・・・はっ?!」
 あわてて飛び起きマシンに駆け寄る。途中足をどこかにぶつけた痛みを堪えて顔をしかめながらモニターを覗き込むと、データ収拾を行っているエージェントが同時に20箇所以上応答しなくなっており、それが警告音の原因であった。
「まさかっ、ばれたのか?!どどど、どうしよう!」
 捜査が始まると不正アクセスを受けている各機関には情報開示が要求される。それもかなりピンポイントである為、当然被害者である各機関は自己調査を始め損害を被っている部分を修復するなりウィルスを取り除くなりするのである。囮捜査ならば犯罪の進行を見過ごすことで犯人が気づくのを遅らせることが出来るが、通常はそうも行かないため捜査官が到着する頃には大体の犯人が警察の接近に気づいている。
「ヒサオちゃん、寝てるの?警察の人から電話よ。一体どうなってるの!?」
 まずい、と思い混乱しながら答える。
「居ないって言ってよママ!」
「それがあと5分で着くからって言って向こうから切られちゃったわよ。ねえ何かやったの?何かやったの?ともかくここを開けて頂戴」
 ヒサオは母親の言葉でさらに焦った。逃げなくては。
急いで適当な服に着替えてモバイル端末を鞄に放り込み、デスクトップマシンで決して使うまいと思っていた証拠隠滅用のディスク破壊プログラムを実行した。
表玄関から逃げるのはまず親が障害となる為まずい。やはり庭から逃げるべきだ。あと5分と言っていたからぎりぎり間に合うだろう。
がらり、と窓を開けて裸足で外へ出る。どんっ、と何かにぶつかった。
見上げると赤いスーツに身を包んだポニーテールの女。
「大田ヒサオ、ネットワーク不正進入およびデータ窃盗の容疑で逮捕します」
 純子は警察手帳と逮捕状を交互に見せる。5分というのは嘘で、とっくに到着して裏を見張っていたのだ。
「くそっ!」
 わき目も振らずに逃げようとしたヒサオだったが純子がその片腕を絡め取り地面に投げ落とした。体を鍛えるということをしていない彼に逃れる術は無い。
「公務執行妨害も追加ね」
「し、証拠はあるのかよっ!」
 痛みに堪えながら睨み付ける。そうだ、さっきしかけたディスク破壊プログラムが一切の証拠を隠滅してくれているはずだ。
「証拠?あるわよ。じゃああなたのマシンを見せてもらいましょうか」
 嫌な予感を感じながら後押しされて渋々部屋に戻る。部屋には鍵を開けて母親が入ってきていたが、気が動転したのか何も言葉を発することが出来ずに立ち尽くしていた。

「じゃ、ディスクの中身を拝見しましょうか」
 キーを叩く。すぐにヒサオの顔は青ざめた。あらゆるデータがそのまま残ってしまっている。破壊プログラムは一切機能していなかった。
「みんなやるのよね、あっちの犯罪者もみんなこの手の逃げ方するんで先手打つのが常識なのよ」
 といってディテクター端末を手にする純子。彼女は予めサイレンを消してこの家に接近しつつマシンにディテクターを進入させ、破壊プログラムの実行を阻止していたのだ。
「おまえ!僕のマシンに侵入してたな!」
「あーら、逮捕状も捜査令状もみんな用意してあるわよ」
 と、ひらひらと書類を見せ付ける。スピードを要求される現在の犯罪捜査に合わせて裁判所の令状発行システムは極限まで効率化が図られ、要求に応じて車載プリンタでFAXよろしく令状を発行することが出来る。勿論きちんと審査を通った電子印章付きだ。
もっとも、このへんは捜査としてはけっこうヤバイ。純子がテンペストと言われる所以の一つである。
「あ、室長?麻生です。犯人確保しましたんで般警寄越してください。んじゃよろしく」
「僕はもうお終いだ・・・」
 やれやれ、とうなだれるヒサオを見下ろす純子。
「まったくだらしないわね一度失敗したくらいで。男でしょ?」
 言われている意味がよくわからずヒサオは純子を見上げた。
「裁判の結果次第だけど、あなたに反省が見られてきちんと更正しているようなら思っているより早く社会復帰できるわよ。その時やりなおしなさい。今度はその技術を正しいことに使って」
 何時だってチャンスはあるんだから、と付け加えて純子はヒサオを投げ落としたときに顔についた泥を拭ってやった。そして応援の駆けつけるサイレンが聞こえるまで泣き続ける彼の傍に居てやったのだった。

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